「学び」は引力から生まれる。
それは「興味」だったり「違和感」だったりする。
「興味」を感じれば感じるほど、知りたくなる。学びたくなる。
「違和感」を感じれば感じるほど、知りたくなる。学びたくなる。
人間はたぶんもともとなんかしらに興味や違和感をもつように出来ている。
なんかしらに引力を感じるように出来ている。
ペットボトルをひたすら並べるあの子も。
街中で演説をしているおじちゃんも。
必死で恋愛をしたがるオンナノコたちも。
みんなおんなじだ。
でも、何が引力になるかはその人によって違う。
だから、誰にとって何が「学び」になるかなんて分からない。
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誰もが「学び」に繋がる興味や違和感をもともともつようにできているとしたら、
じゃあきょういくには何ができるだろう。
興味をもったときに、
違和感を感じたときに
情報を収集すること
人に聞くこと
そこから得られた情報たちを脳みその中でぐつぐつ煮て
自分にとって魅力的な考え方や
自分にとって納得できる考え方を築きあげること。
それをひたすら続けることができること。
「僕はこう思う」と言えること。
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違和感をもつことを責められたり
興味を持てないことを責められて
脅されても
それはほんとうの「学び」には繋がらないし
多分ほんとうのさいわいにもつながらない。
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