インクルーシブ教育の話をすると、
「理想だけど現実的には無理だ」
「先生忙しいから無理」
といった声をたくさん聞く。
それはそれはものすごくたくさん聞く。
その度に、
「インクルーシブ教育はプロセスです。そこに向かうことに意味がある。初めから『できない』と諦めていたら何もできない。一歩ずつ進みましょう」と伝える。
私たちはどうしても
「できているかできていないか」
「まったくやらないか、全てやるか」
「まったくやらないか、全てやるか」
ゼロか100かで考えがちだ。
「インクルーシブ教育」、そして「インクルーシブな社会」の構築は私たちの大きなアジェンダである。もちろんシステムを変えていく必要はある。
一方で、しんどい思いをしている子どもたちが目の前に何人もいることを考えると、今すぐできることにはすぐに取り組んでいきたい。
それは完璧でなくてもいい。
初めから完璧にできるわけない。
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一歩進むための、そのヒントはどこにあるのか。
理論と実践をつなぐことにあるのではないだろうか。
インクルーシブ教育を理論として理解できたとしても、実践とのつながりが見えにくいことは、ゼロか100かで考えてしまう大きな要因。
ゆくゆくはそれをシステムで担保していきたいけれど、まずは関心のある実践者、推進していきたいと感じている実践者と共に実践を言語化して、意図的に実践する人や発信する人を増やしたい。
つまり、理論と実践をつなげられる人を増やしたい。
よくある理論を紹介すると、
「それもうやってます」
「知らないうちにやっていた」
との声を聞く。
それは良い実践かもしれない。
おそらく子どもたちの反応に対する教師の対応が洗練された結果としての実践だろう。
おそらく子どもたちの反応に対する教師の対応が洗練された結果としての実践だろう。
教師の無意識化でなんらかの化学反応が起き、「良い実践」が生まれる。
けれど、その実践は言語化しないとその場で終わってしまう。
カリスマ教師は突然現れ、うまくいかない新任教師は「センスがない」と言われる。
「◯◯先生しかできない」と言われる。
「あの校長先生しかできない」と自分にはできない理由を探す。
持続可能ではない。
良い実践を言語化し伝えるために、そしてうまくいかなかった要因を分析するために理論を活用したい。
なぜうまくいったのか。なぜうまくいかなかったのか。その裏には自分や子どもたちのどんな願いがあったのか。それを「良い実践」と判断する基準はどこにあったのか。
無意識を意識化したり、無意識であることを自覚したりする。
これらを理論と結びつけて言語化することによって、次に起こすべきアクションの選択肢を戦略的に考えることができる。
つまり、
インクルーシブ教育を推進するためには、理論と実践をつなぐことが必須であり、その鍵となるのはリフレクティブな実践者を増やすことにある。
さらに、それらのリフレクティブな実践者が周りの人たちにリフレクションを促していく必要がある。
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「先生になったこともないのに理論だけ語って…」
「理論を知らないのに実践だけ刹那的にやって…」
こういった議論は意味がない。
「理論を知らないのに実践だけ刹那的にやって…」
こういった議論は意味がない。
本質的じゃないし前に進まない。
理論は私たちに共通言語と引き出しと応用力と再現可能性をくれる。
実践者はそれを活用したら良い。
実践者はそれを活用したら良い。
とはいえ、理論を実践とつなぐための仕掛けは必要だし、時には翻訳者が必要。
自分の役割はそこにあると、強く感じている。
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リフレクションを通してインクルーシブ教育の理論と実践をつなぐ!
▼インクルーシブ教育リーダー養成研修
▼インクルーシブ教育中級者養成研修
▼インクルーシブ教育を実践するためのアクションプランを考えよう!
( 7月25日@関西)
詳細 coming soon…
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先生方の実践をインクルーシブ教育の理論と結びつける!
▼ 第2回 探究する学習者の会
「どの子も居場所のある授業づくり」
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