「特別な教育」の功罪

先日、名古屋にて日本特殊教育学会に参加をしてきた。







日本においては、障害のある子どもへの教育は主に施設における実践を中心にはじまり、1979年に障害のある子どもの義務教育が制度的に整備された。
障害のある子どもへの教育の在り方が模索されていた時代において設立された国立特殊教育研究所(現在の特別支援教育総合研究所)の初代所長であった辻村泰男氏は障害のある子どもへの教育について、

「個人差に応じた適切な指導が、単に障害児についてだけでなく、学級の全員について行えるような教育的諸条件が整備されたなら―そのとき障害児の多くは、特殊教育から通常の教育に戻っていけるにちがいない」
という言葉を残している(辻村, 1968)。


つまり、本来は通常教育や一般社会において、多様な子どもたちのニーズにこたえられることが理想的であり、それが可能になれば特殊な教育はいらない、といったまさにインクルーシブ教育の考え方を既にこの時代に持っていたのである。

「特殊教育」といった言葉が生まれ、各障害種別の「特別な教育」に関する研究や実践が進んだことにより、障害種によるニーズに合わせた教育課程や指導方法が確立したことは、特殊教育が大きく貢献してきたことである。そうしなければわからなかったことがたくさんあった。それはそれでとっても大事なことだった。

一方で、その代償として、「障害」のある子どもたちの教育はその分野における「特別」な専門家でないとできない、といった捉え方や、「障害のある子ども」と「そのほかの子ども」への教育は別物である、と捉え方を同時につくってしまった。その他の子どもたちへの教育との連続性や共通言語が現場レベルで見えづらくなってしまった。

結果、障害者権利条約を批准した現在においても特別支援学校に在籍する子どもは増え続けている。インクルーシブ教育の理念にはある種逆行していると言っても良い。

なぜこのようなことが起こったのか。
それは、通常教育に働きかける者が誰もいなかったからではないだろうか。
「通常教育」と「特殊教育」を「つなげる」ことに誰も目を向けなかったからではないだろうか。
「通常教育が多様性に応えることは無理である」との前提に研究を進めざるを得なかったからか。
障害の有無関わらず、私たちの教育が最終的に目指すところが何なのか、のビジョンが、共通言語がなかったからではないだろうか。

次期学習指導要領は、通常教育と特別支援教育の連続性が強化されている。
これは、大きな一歩である。と私は思う。
今こそ、特別支援教育の関係者は自分たちの言語だけで自分たちの領域のみでより専門性を追求していくのではなく、通常教育との共通言語を見つけ、彼らの文脈を理解した上で、通常教育における多様なニーズ答えるシステムづくりに寄与する時ではないだろうか。これは私たちの時代で変えていかなければならないこと。

コメント

  1. 初めて、コメントさせていただきます。

    大変示唆に富む分析と提言で、考えながら、立ち止まりながら、拝読しました。

    制度的に整えられていることと実際は異なってしまっていることが、現在ではまだ多く
    その間を埋めるのは、やはり人でしかない。

    「特別支援教育」が「通常教育」を、「通常教育」が「特別支援教育」を自分の土俵に上げることが必要で
    そのためにはどのような言語で語るか・語り合うか(「共通言語」)が大切ですよね。
    その先に多様な学びの場と連続性が保障されると思います。

    ほまれ

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